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【徳川吉宗は和歌山出身?】和歌山城を建てた人(作った人)は誰?

2023年3月6日

こんにちは〜!

カワタツ( @TKkidd_mbht )です!

🤡「どーも!

デルピエロです!」

上の記事で和歌山城のアクセスや、

所要時間などについて、

説明しましたが、

この記事では、

和歌山城の歴史などについて、

書いていきます!

🤡「歴史〜?

だけじゃ、つまらないな。

やっぱり和歌山といえば、

和歌山ラーメン食べたいよ〜!」

ふふふ…実は、

和歌山城に近い、

和歌山ラーメンのお店

も紹介するよ!

🤡「マジかよ!」

さらに和歌山城の御橋廊下についても、

説明します!

さらに、

あの将軍も和歌山の出身?

🤡「将軍?

和歌山から将軍が出てるの?」

実は出てるんです!

有名な江戸幕府の将軍です!

和歌山城を建てた人(作った人)は誰?

🤡「さて最初に聞きたいのは、

和歌山城って誰が建てたの?

やっぱり紀州徳川家?

天正13年(1585年)、

奇襲を平定した豊臣秀吉は、

弟の秀長に命じて、

紀ノ川河口部の「岡山」(現在の虎伏山)に

城を築かせた。

これが和歌山城の始まりである。

http://wakayamajo.jp/history/index.html

最初に和歌山城を建てたのは、

豊臣秀吉の弟、

羽柴秀長

みたいだね。

🤡「羽柴秀長は、

あの石垣のゴツい大和郡山城も作ってるし、

何気に築城の名手なんだな」

秀長は他にも各方面で、

優秀な人だったみたいだね。

🤡「後、どうでも良いけど、

「岡山」の名前が出てくると、

岡山県民は反応しちゃうなあ」

「岡」の字って、

「丘」をカッコ良く言った漢字

みたいな物だからね😅

🤡「どの土地にもある様な、

地名なのか〜」

そして秀長は和歌山城を作った後、

和歌山城を家臣の桑山重晴に任せ、

大和郡山城に移る。

さらに関ヶ原の戦いの後、

慶長5年(1600年)、

関ヶ原の戦いの後、

浅野幸長(よしなが)が、

37万6千石で紀伊に入国し、

和歌山城主となる。

浅野氏は連立式天守を建て、

現在の本丸・二の丸・西の丸に屋敷を造営。

大手門を岡口門から一の橋の方面に移し、

本町通りを大手筋として、

城下町を整備した。

http://wakayamajo.jp/history/index.html

浅野幸長が和歌山城に入り、

連立式天守を建てて、

和歌山城を強固にし、

城下町を発展させた。

🤡「浅野幸長といえば、

五奉行の浅野長政の息子だね」

ついでに、

もう少し和歌山城主の歴史を、

紹介しておくと、

浅野家が広島に転封になった後、

元和5年(1619年)、

徳川家康の10男頼宣(よりのぶ)が、

55万5千石を拝領し、

紀州藩が成立する。

頼宣は二の丸を西に広げ、

砂の丸・南の丸を新たに造成した。

http://wakayamajo.jp/history/index.html

🤡「1619年といえば、

大坂の陣の後だよね。

大阪に近い和歌山を、

徳川家康は自分の息子、

徳川頼宣に任せるわけか」

ちなみに頼宣は結構剛毅な人で、

清に敗れようとしていた、

明の鄭成功に援軍を求められて、

頼宣は乗り気だったけど、

結局援軍は送られなかった。

🤡「強引に最近読んだ小説の紹介」

そして頼宣を祖とする御三家、

紀州徳川家が成立する。

そして、そこから将軍も輩出する。

🤡「そろそろ教えてよ。

紀州徳川家、

和歌山城が輩出した将軍って、

誰なの?」

8代将軍徳川吉宗だよ。

そして14代将軍家茂(いえもち)も、

そうだ。

🤡「2人も将軍を出してるのか!」

吉宗といえば、

「暴れん坊将軍」でも有名だよね。

徳川吉宗も和歌山出身?

🤡「吉宗が和歌山から将軍になった経緯、

教えて欲しいな」

徳川家の当主で、

将軍となった人物の名前には、

「家」の1文字が入ってることが一般的。

初代将軍「徳川家康」から、

当主に受け継がれてきた1文字ですが、

徳川吉宗にはありません。

https://www.touken-world.jp/tips/44520/

🤡「そういえば、

吉宗が家光みたいに、

「家」の字が付いてないの、

気になってたんだよね」

その理由なんだけど、

吉宗は元々将軍になる

予定ではなかった。

🤡「そうなの?」

その理由を少し省略して引用するんだけど、

吉宗は紀州藩の2代藩主、

徳川光貞の4男として誕生。

https://www.touken-world.jp/tips/44520/

🤡「4男?

4男じゃ将軍どころか、

紀州藩主にもなれないんじゃん?」

そうなんだよ。

光貞の次男・次郎吉が病没した際、

吉宗は江戸の紀州藩邸に移り住みます。

1697年(元禄10年)、

5代将軍・徳川綱吉から、

越前国丹生郡(にゅうぐん)3万石の、

葛野藩(かずらのはん)を下賜されました。

https://www.touken-world.jp/tips/44520/

🤡「紀州藩ではないけど、

小さい藩の藩主になったんだね」

綱吉は吉宗を可愛がってたのかな?

ところが、その後、

吉宗の2人の兄が続いて病死するんだ。

しかも跡継ぎがいない。

そのため吉宗が5代目紀州藩主に、

就任する。

🤡「マジか。

吉宗を中心に見てると、

話が出来過ぎてて、

吉宗が2人の兄に毒でも盛ったのでは?

とか考えてしまうな」

どうなんだろうね?😅

(あくまで想像です)

さらに、

1716年(教法元年)、

7代将軍徳川家継が、

わずか8歳の若さで病没。

https://www.touken-world.jp/tips/44520/

🤡「いきなり将軍病没の話。

まさか?」

そう、その通り。

吉宗は紀州藩で、

財政再建の手腕を振るっていたため、

その力を買われ、

8代将軍に就任するんだ。

🤡「そして享保の改革を行ったり、

目安箱を置いたりするわけか」

そう、そんな吉宗も、

和歌山から出たんだよね。

和歌山城の御橋廊下とは?

さて、これまで和歌山城の歴史について、

話してきたけど、

ここからは御橋廊下について、

説明しようと思います。

🤡「おはしろうか?」

和歌山城に、

こういう堀を渡る廊下があってね。

🤡「へえ。

面白いね。

中を通って見たいな」

御橋廊下の中は、

こんな感じ。

🤡「下から見上げた感じか。

傾斜があるんだな。

滑ったりしない?」

こっちの写真だと、

分かりやすいと思うんですが、

滑り止めがあるから大丈夫!

🤡「それなら安心だ。

でも、この御橋廊下、

何のためにあるの?」

藩主の趣味の場である西の丸と、

生活の場である二の丸大奥とを、

つなぐ廊下橋。

殿様とお付の人、奥女中が、

二の丸と西の丸を行き来するために、

徳川期にかけられ、風雨を避け、

外から姿が見えないように、

屋根と壁を設けている。

http://wakayamajo.jp/history/kozo.html#4

殿様の普段の姿を、

一般の武士に見せたくなかったんだな。

🤡「身分の低い武士は、

殿様とか高貴な人を、

直に見るのは失礼だったんだよね。

そういう事か」

御橋廊下を歩いたら、

高貴な殿様の気分になれるかも?

🤡「それは強引な言い方だと思う」

和歌山城に行った後ラーメン食べるなら?

🤡「ところで冒頭でも言ったけど、

和歌山といえば、

和歌山ラーメンだよね〜!

食べたいよ〜!」

実は和歌山城へ行った時、

和歌山城から少し歩いた所にある、

和歌山ラーメンのお店に行ったんだよね。

🤡「へえ!

何ていうお店?」

山為食堂

(やまためしょくどう)

というお店。

🤡「老舗っぽい店名。

カマボコが乗ってるのも、

老舗っぽい」

和歌山ラーメンと言えば、

豚骨醤油ラーメンだけど、

山為食堂のは、

スープが少しドロッとしてて、

とろみがある感じ。

美味しかった😃

🤡「この山為食堂は、

和歌山城から近いの?」

和歌山城と和歌山市駅の間くらいにある。

和歌山城天守閣から、

歩いて13分。

🤡「じゃあ、

和歌山城を歩いて、お腹が減った後、

山為食堂でラーメン食べて、

和歌山市駅から電車に乗って、

大阪方面へ戻る

って事もできそうだね」

僕も実際にそんな感じで歩きました。

山為食堂、美味しいですよ!

和歌山ラーメンついでに言うと、

和歌山駅近くの、

井出商店も美味しいですよ!

🤡「ラーメンと一緒に、

巻き寿司を食べるんだよね」

まとめ

  • 和歌山城を最初に建てたのは、豊臣秀吉の弟・羽柴秀長、さらに浅野長政が連立型天守を建築し、紀州徳川家に引き継がれた。
  • 8代将軍徳川吉宗も紀州藩出身。
  • 御橋廊下は殿様の姿を身分の低い者に見せない様に作られた。
  • 和歌山城の近くの山為食堂のラーメンが美味しい

🤡「和歌山ラーメン、

食べたくなったな〜」

美味しいラーメン屋、

たくさんあるみたいだから、

また和歌山に行きたいね。

それでは今日はこの辺で失礼します!

🤡「さようなら〜!」

最後まで読んでくれて、

ありがとうございます!

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