【三蟠鉄道の廃線跡!】どこからどこまで走ってた?遺構は残ってる?
こんにちは〜!
🤡「こんにちは!」
ねえ。
廃線跡
を歩いたり、
サイクリングしたりするの、
楽しいよね。
🤡「岡山市内にも、
たくさん廃線跡があるよね!」
そう!
今日はその、
岡山市中区の廃線跡を、
紹介したいんだ!
🤡「どこの廃線?」
三蟠鉄道。
🤡「ん?
なんて読み方?」
さんばんてつどう。
🤡「上の写真、
「三蟠鉄道資料館」と書いてあるけど?」
この建物、
三蟠鉄道の旧三蟠駅の、
駅舎だった建物なんだ。
🤡「駅舎が残ってるんだ!」
三蟠鉄道は岡山市中区にあった、
廃線になった鉄道。
この鉄道について、
説明します!
🤡「三蟠鉄道って、
どこからどこまでを走ってた鉄道?
なぜ廃線になったの?」
そこら辺も、
詳しく説明します!
🤡「三蟠駅の駅舎以外に、
遺構は残ってるの?」
そこも実際に、
自転車で各駅跡を回ってきたので、
説明しますね!
廃線跡が好きな人!
岡山市内のサイクリングルートを、
探している人!
読んでみてください!
三蟠鉄道は、どこからどこまでを走ってた?
🤡「三蟠鉄道、
岡山市中区を走ってた鉄道
なのは分かったけど、
具体的にどこからどこまで走ってたの?」
Wikipediaの引用ですいませんが、
三蟠鉄道は、
かつて岡山市中区江並にあった、
三蟠駅から、
同市中区門田屋敷にあった、
国清寺駅および、
同市中区桜橋にあった、
桜橋駅を結んでいた、
軽便鉄道である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/三蟠鉄道
🤡「つまり、
国清寺
〜桜橋
〜三蟠
の間で、
三蟠鉄道は運行されてたんだね」
ちなみに国清寺というお寺は、
少し前に行きましたね。
🤡「岡山市の中心部から、
少し外れた位の場所にあったよね」
三蟠港についてじゃ
上の記事で詳しく説明してますが、
三蟠港は、
- 江戸時代からある港町
- 岡山市中心部の京橋港から瀬戸内海をを渡って四国へ行く船に乗り換えるための港だった。
- 宇野線開業で衰退。
- 三蟠鉄道を開業するも小型船の発達で衰退
という感じの港でしたね。
🤡「三蟠港について詳しくは、
上の記事を読んでみてください!」
三蟠鉄道は、
桜橋にある岡山ガスの工場へ
石炭を運ぶための鉄道
だったらしいです!
というわけで、
三蟠鉄道は岡山市中区の、
国清寺〜桜橋〜三蟠
間を結んでいた廃線!
三蟠鉄道が廃線になった理由は?
🤡「1つ疑問なんだけど」
何かな?
🤡「三蟠鉄道って、
今の時代まで残す事はできなかったの?
岡山市内を走る電車だから、
今でもそれなりに、
需要はある気がするんだけど」
三蟠鉄道は軽便鉄道だから、
今の時代の鉄道より、
線路が狭かったんだよ。
線路を広くするのは、
土地を買収する費用の問題で、
難しかったんじゃないかな。
狭軌のままだと、
高速で輸送する事は、
できなかったみたいだし。
🤡「トラックやバスに負けた感じか〜」
それに最終的に、
三蟠鉄道が廃止されたのって、
バスが台頭して、
時代の波に押されたのも、
あるらしいからね😅
🤡「そういえば、
岡山駅から三蟠南まで、
バスが走ってるよね〜。
これが廃線後の岡山市中心部〜三蟠の需要を、
代替したんだな」
というわけで、
三蟠鉄道は狭軌の軽便鉄道だったため、
輸送能力が低く、
トラックやバスに押されて、
衰退していったみたいです!
三蟠鉄道の遺構は残ってる?
🤡「ところで、
三蟠鉄道の廃線跡、
自転車で走って、どうだった?」
国清寺辺りから、
自転車で南下したんだけど、
国道2号線バイパスから北辺りは、
ほとんど廃線の名残が、
残ってなかったね〜😅
🤡「マジか〜残念!」
国清寺から旭東小学校の西側をかすめて、
南下してたらしいんだけど、
その道が三蟠鉄道の廃線跡なのかは、
ハッキリと分かる物はなかった。
🤡「マジで残ってないんだな」
湊駅跡の駅名標が残ってる?
岡山県道45号線の倉安川北の交差点に、
湊(みなと)駅の駅名標
はあった。
🤡「おっ!
整備されてるんだね!」
この道路が三蟠鉄道廃線跡。
一旦東に向かった後、
またグルっと回り込むように、
倉安川の交差点辺りに、
戻って旭川沿いを通ってたみたい。
🤡「グルっと回らないといけない、
理由があったんだろうか?
中間基地みたいなのがあったとか?」
倉安川交差点に線路の遺構がある?
復元された線路があった。
倉安川交差点の、
南西辺り。
🤡「これだけハッキリした、
廃線跡が残ってるのは嬉しいね」
ただコレは、
支線を復元したものらしい。
🤡「待機してる車両のための線路か」
東岡山工業高校の生徒が、
復元したらしいよ。
🤡「授業の一環で復元したのかな」
下平井駅跡はどこにある?
その後、
下平井駅を探したけど、
住宅地の細い道がややこしい上に、
「大体この辺りにある」
位しか分からなかった😅
🤡「上平井駅は?」
忘れてたんだよね😅
🤡「……」
また今度、
探しに行きます!😅
でも下平井駅と同様に、
上平井駅も何も残ってない気がします😅
旭川沿いに三蟠鉄道の廃線跡がある?
その後は、
2号線バイパスより南、
旭川沿いの、
三蟠鉄道廃線跡
を通り、
浜中駅跡まで南下。
🤡「狭そうだな。
自転車は通りやすそうだけど」
狭軌の軽便鉄道しか、
通れなかった事を思わせる道幅。
車も通れないし、
安心してサイクリングできる感じだったね。
🤡「車を気にしなくて良いのは、
サイクリングではすごく楽だよね」
浜中駅跡は残ってる?
その後、
岡南大橋付近の、
浜中駅跡へ行ったけど、
浜中駅跡も
「大体この辺りにある」
位しか分からなかった。
🤡「三蟠鉄道って、
湊駅と三蟠駅辺りしか、
遺構が残ってないんだね。
残念だな」
三蟠駅の遺構は?
終点の三蟠駅については、
上の記事で詳しく説明してますが、
旧三蟠駅の駅舎や、
三蟠港の跡の石碑、
明治天皇が三蟠港から、
四国に渡った事を記念した石碑
が残ってます!
🤡「駅舎も残ってるし、
三蟠駅のあたりは、
割と遺構が残ってるな〜!」
三蟠鉄道まとめ
- 三蟠鉄道は岡山市中区の国清寺〜桜橋〜三蟠までを繋ぎモノを輸送していた軽便鉄道。
- 三蟠鉄道は狭軌なので高速輸送ができず、トラックやバスの台頭で廃線になった。
- 湊駅の駅名標が残ってる。
- 倉安川交差点付近に線路の遺構が残ってる。
- 下平井駅跡の遺構はない(と思う)
- 国道2号線バイパスから南は旭川沿いに廃線跡が走る。
- 浜中駅跡の遺構は残ってない。
- 三蟠駅は駅舎や石碑など遺構がある。
🤡「三蟠鉄道、
あまり駅や遺構が残ってなくて、
残念だな」
🤡「岡山臨港鉄道や、
西大寺鉄道は、
遺構が結構残ってるのにね〜」
良かったら、
上の記事も読んでみてください!
以上です!
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それでは今日はこの辺で失礼します!
🤡「さようなら〜!」
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