【和歌山城は誰の城?】城主は紀州徳川家?その前は桑山・浅野?

こんにちは〜!
和歌山城って、
誰の城なの?
ということを知りたい人は、
読んでみてください!
誰が統治してた?
有名なのは
紀州徳川家ですが、
それより前は?
歴代の城主について、
簡単に説明します!
紀州徳川家とは?

和歌山城を支配していた、
紀州徳川家は有名ですよね。

水戸・尾張・紀州で、
御三家と
呼ばれてたんだっけ?
1619年、
徳川家康の十男
・頼宣(よりのぶ)が、
55万5千石を拝領し、
紀州藩が成立したんですね。

555!
ゴーゴゴー!
そして紀州藩からは、
- 8代将軍吉宗
- 14代将軍家茂(いえもち)
も輩出してます。

暴れん坊将軍も、
『青天を衝け』に
出てた将軍も、
和歌山城から
出てたんだね!
というわけで、
和歌山城は御三家の1つ、
紀州徳川家の城!
徳川家康の十男・頼宣を祖先にし、
吉宗・家茂と将軍も輩出しました!
羽柴秀長の家臣・桑山重晴!最初に和歌山城を建てた?


でも紀州徳川家は、
江戸時代の大名でしょ?
江戸時代より
前の時代は、
誰の城だったの?
先ほども参考にした、
和歌山城のホームページによると、
桑山家
浅野家
http://wakayamajo.jp/history/index.html
の名前がありました。

浅野は浅野長政の
浅野でしょ?
桑山って人は
聞いた事ないな〜!
桑山重晴は、
豊臣秀吉の弟、
羽柴秀長の家臣だった人です。

じゃあ豊臣期の
和歌山城は、
羽柴秀長の領地
だったってだね!
そういう事。
そして桑山重晴が城代で入ってたんですね。
和歌山城を最初に建てたのは、
羽柴秀長らしいです。
浅野幸長・長晟!広島に転封!
浅野の方は
浅野幸長(よしなが)。
五奉行の一人
・浅野長政の息子ですね。
関ヶ原の戦いで戦功を挙げた浅野幸長が、
和歌山城主になり、
弟の長晟(ながあきら)が、
和歌山城主になった。
その後、
浅野長晟は広島に転封になりました。

その後に
紀州徳川家が、
入ってくるのか!
そういう事ですね。
和歌山城は、
豊臣秀吉の弟・秀長の家臣、
桑山重晴が城代になった後、
浅野幸長が城主になり、
紀州徳川家へ続いた!
和歌山城は誰の城?まとめ
- 江戸時代の和歌山城は紀州徳川家の城。徳川家康の十男・頼宣を祖先とし、吉宗・家茂と将軍も輩出した。
- それ以前は豊臣秀吉の弟・秀長の家臣・桑山重晴が城代として和歌山城に入った!
- 関ヶ原の戦いの後は浅野幸長が和歌山城主に。その後、紀州徳川家が入る。

気になるんだけど、
和歌山に徳川家がいるのって、
なんでだろう?
家康は要所・大坂の近くに、
信頼できる身内を
入れたかったんじゃないでしょうか?

大阪の近くは、
他にも彦根の井伊とか、
親藩・譜代大名ばかり
だもんね〜
和歌山城については、
他にも記事を書いてます!

実際に和歌山城を、
訪れてみてください!
以上です!

Twitterのフォローも、
よろしくお願いします!
それでは今日は、
この辺で失礼します!

さようなら!
最後まで読んでいただいて、
ありがとうございます!
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません