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【姫路城は誰が建てた?】最初に建てたのは?今の形にしたのは?

2022年6月29日

こんにちは〜!

カワタツです!

🤡「どーも!

デルピエロです!」

姫路城

って良いよね!

🤡「いつ見ても立派だよね〜!

この立派な城、

誰が建てたの?」

ん?

それは、

この場所に城を、

最初に建てた人のこと?

それとも、

姫路城を、

だいたい今の形にした人?

🤡「ん〜。

両方かな!」

マジか〜!😅

じゃあ両方について説明します!

2018年に姫路城で買った、

「姫路城の基礎知識」

を引用して説明します!

姫路城に行く前の下調べや、

「姫路城について、

もっと知りたい!」

という人、

読んでみてください!

姫路城を最初に建てたのは誰?

姫路城の天守閣を下から

🤡「じゃあ、

まず最初に」

姫路城を、
最初に建てたのは誰?

「姫路城の基礎知識」の年表によると、

1333年(元弘3年)

赤松則村(円心)姫山に縄張り。

1346年(貞和2年)

赤松定範、姫山に城を築く。

「姫路城の基礎知識」P1の年表

とある。

赤松定範は則村の次男らしい。

🤡「赤松則村が縄張りして、

次男の定範が姫路城の元の城を、

完成させたのか!」

そう!

親子二代で建てたんだね!

姫路城を今の形にしたのは誰?

🤡「じゃあ」

姫路城を、
今の形にしたのは、
誰なの?

関ヶ原の戦いの後、

慶長5年(1600年)に、

徳川家康の女婿、

池田輝政が播磨一国52万石の城主として、

姫路に入りました。

姫山では、

秀吉が築いた天守などを取り壊す一方、

石垣などはいかして、

新たに天守などを築き、

慶長14年に、

大天守と三つの小天守を渡櫓などで結ぶ、

連立式天守をいだく

姫路城を完成させました。

「姫路城の基礎知識」P1

🤡「おお!」

この時に、

今もある連立式天守が、

できたんだな!

その通り!

そして、

🤡「連立式天守を建てたのは、

池田輝政か!」

そうなんだよ!

池田輝政は「西国将軍」と呼ばれてて、

播磨・備前・淡路の3ヶ国、

92万石の経済力で、

大きな姫路城を建てたと言われています!

🤡「あんな大きな城を立てるのには、

たくさんのお金がいるよね〜」

そこら辺の内容については、

上の本に書いてありました!

🤡「興味があれば、

読んでみてください!」

というわけで、

姫路城の連立式天守を建てたり、

だいたい今の形にしたのは、

池田輝政!

まとめ

  • 姫路城を最初に建てたのは、赤松則村・貞範父子。
  • 連立式天守を建てたり、姫路城を今の形にしたのは、池田輝政。

まあ、この間に、

羽柴秀吉が3重の天守閣を築いてたり、

輝政以降の城主が、

色々と作ったり修復したり、

してるんだけどね。

🤡「この2者だけが、

姫路城を作ったわけではないよね」

姫路城については、

他にもいろいろ記事を書いてます!

🤡「姫路城に行く時に、

役立つと思います!」

兵庫県の観光地や、

他の城については、

こちらを!

🤡「姫路城のついでに、

どこかに行きましょう!

兵庫県には良い城が多いです!」

姫路城など国宝5天守については、

上の記事でまとめてます!

それでは今日はこの辺で失礼します!

🤡「さようなら〜!」

最後まで読んでくれて、

ありがとうございます!

神戸空港から姫路城まで1時間半!

※スパムしか来ないため、

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