松島は人工的な洞窟がたくさん!五大堂から海を見る!
こんにちは〜!
今日は、
宮城県の松島へ行った記事です!
2020年3月に東北・北陸7泊8日の、
旅行をしました。
旅行3日目に、
宮城県の松島に行った事を書きます。
松島にたくさんある、
洞窟は人工?
自然のもの?
松島海岸駅から円通院、
瑞巌寺、五大堂と周りました。
しかし松島、
陸の部分だけでは100%楽しみきれてない。
建物一つ一つの歴史も載せています。
まずは電車で松島海岸駅に着いたところから、
読んでみてください。
松島には洞窟がたくさんある?
松島に着いたけど、
駅舎が改築中。
プレハブ〜!(IKKOさんの言い方で)
新しい駅舎を建てるためだろうけど、
「松島海岸駅」というには、
風情がないなあ〜😅
松島海岸駅のすぐ近くに、
大岩に洞窟みたいな穴。
こんな感じの岩、
円通院や瑞巌寺の辺りにも、
たくさん見かけました。
円通院に政宗の孫・光宗の墓がある?優秀過ぎて幕府に殺された?
そしてまずは円通院に向かいました。
松島海岸駅から歩いて
5分位だったでしょうか。
円通院って、どんな寺かというと、
円通院は伊達政宗の
嫡孫・光宗の菩提寺。
光宗は文武に優れ、
その才知は、
徳川幕府にとって
恐るべき逸材だった。
しかし光宗は江戸城内において、
19歳という若さで卒し、
死因については、
毒殺説とも、
病死説とも言われている。
円通院の霊屋は光宗の死を悼んだ、
父の二代目藩主忠宗が建立。
光宗の像と、
殉死した7人の像
が祀られている。
入場時にもらったパンフレットから引用。
(入場料は大人300円)
菩提寺というのは、
光宗の墓があるお寺
って事ですよね。
光宗は幕府を
脅かす程に優秀だから、
幕府に殺された
説があるという事ですね。
生きてたら、
もっと歴史に名を残す人物に
なってたでしょうか。
とにかく仙台藩という、
大半の藩主になったら、
幕府を覆したり、
内部から幕府の主権を、
握ってしまい兼ねない。
そんな風に危険に思われてたでしょうか?
休憩所みたいな古い建物。
周りの禅林瞑想の庭は、
スギ林とモミジ・
山野草・コケで構成された庭で、
禅林の非日常的空間
を作り出している。
昔の人も、
仕事と家を往復するだけの
毎日に耐えかね、
ここに来たりしたんでしょうか?
僕が旅行に来るのも、
毎日同じ生活の
繰り返しだとウンザリする
からです。
円通院にはどんな建物がある?
この建物が国重要文化財の、
三慧殿(さんけいでん)。
古めかしさを感じます。
中にある厨子(ずし)には、
支倉常長が持ち帰ったとされる、
西洋のバラの絵が描かれているそうです。
あと申し訳ないですが、
写真に写ってるカップルが
邪魔だった😅
道が狭いのに僕が後ろにいる事に気付かず、
すごくノンビリ歩く😅
一人旅はスパスパ歩きたいんだよ〜!
三慧殿の右側から伸びる道の横には、
またこんな洞窟群が。
この洞窟群は
700年前のものだそうです。
意外と新しい。
昔はここまで海で、
波が長い年月をかけて岩を削って
洞窟が出来たとか、
自然に出来たものかと思ってました。
この庭は伊達藩江戸屋敷にあった、
小堀遠州作の庭
を移築したものらしいです。
小堀遠州といえば、
地元岡山県高梁市の、
頼久寺の庭園も小堀遠州作でした。
横の建物は円通院本堂の大悲亭。
息子・伊達光宗の死
を受けて円通院を創建した、
父・忠宗の
「大きな悲しみ」
から付けられた名前でしょうか。
(僕の想像です😅)
梅か桜か分かりませんが、
綺麗なピンク色の花が咲いてました。
3月27日だったから桜かな?
でも東北地方はまだ寒かったから、
梅かもしれない。
この2日後、
ガッツリ雪が積もりましたしね〜😅
そして瑞巌寺で、
金ピカ襖絵を見ました。
瑞巌寺を出て五大堂の方へ。
と言っても多分、
この広い道と庭も、
瑞巌寺の境内なんでしょうね。
この広い庭?にも洞窟。
そして背の高い木。
そして南側の門へ。
こちらが瑞巌寺の正門?
でも松島海岸駅からだと、
円通院を通って瑞巌寺に行く
ルートになりますよね。
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