龍野城の歴史!歴代城主は?赤松氏が最初?脇坂家が200年?
こんにちは〜!
カワタツです!
🤡「どーも!
デルピエロです!」
兵庫県にある、
龍野城、
良い城なんですよ!
🤡「そうなんだ!
どんな人が治めてたの?」
じゃあ今日は、
龍野城の
歴代城主
について説明します!
龍野城に行く前や行った後で、
龍野城の歴史について、
調べたくなった人!
読んでみてください!
龍野城の歴代城主は?
🤡「龍野城の城主って、
どんな人がいたの?」
wikipediaから引用ですけど、
赤松村英、政秀、広貞、広英
→蜂須賀正勝
→福島正則
→木下勝俊
→小出吉政
→豊臣政権蔵入地
→池田輝政・利隆・光政
→本多政朝
→小笠原長次
→岡部宣勝
→京極高知
→脇坂11代
https://ja.wikipedia.org/wiki/龍野城#歴代城主
こんな感じだね。
🤡「けっこう人数が多いね〜!」
豊臣政権の時も、
江戸時代も、
大名がコロコロ変わってるね。
🤡「江戸時代になって、
脇坂家に落ち着いた感じか」
赤松氏が山の上に龍野城を建てた?
ちなみに龍野城の後ろの山、
鶏籠山(けいろうさん)を登ると、
戦国時代の龍野城に行けるみたいです。
🤡「赤松時代の、
山城の龍野城か」
戦国時代より前の時代は、
頻繁に戦いがあった。
山の上に城を作った方が、
守りやすかったんだよね!
🤡「先に山城の龍野城を、
赤松氏が建てたんだろうね」
そうだと思う。
龍野城、
元は鶏籠山の上にあり、
赤松村秀が建てたみたいです!
豊臣秀吉の家臣から、豊臣家の直轄地へ
🤡「城主に話を戻すと、
蜂須賀正勝や福島正則は、
聞いた事があるね」
豊臣秀吉の家臣としては、
有名な武将だよね。
豊臣秀吉の時代は、
蜂須賀正勝
→福島正則
→木下勝俊
→小出吉政
と続き、
豊臣家の蔵入地になる。
🤡「龍野は豊臣家の直轄地だった、
時代もあるというわけか」
そうだね〜。
豊臣政権期の龍野は、
蜂須賀正勝、
福島正則などの領地になった後、
豊臣家の直轄地になりました!
池田、本多から脇坂家へ
🤡「その後の池田輝政も、
名前を聞いた事があるな」
姫路城を作った人だね。
岡山・鳥取も領地にしていた人だ。
🤡「姫路城が近いから、
本多領の時期もあるのかな?」
いや、その次の本多政朝は、
姫路の本多家とは別に、
新しい藩を建てたみたい。
🤡「その後は、
小笠原長次、岡部宣勝、
京極高知と続き、
その後は脇坂家が200年近く、
幕末まで続くのか」
そういう感じだね。
脇坂といえば、
忠臣蔵で赤穂浅野家が改易になった時、
城を受け取りに来たのが、
脇坂の殿様だったと思う。
🤡「有名な話にも、
チラッとは出てくるんだな」
龍野と赤穂は近いしね。
🤡「ちなみに、
この龍野の脇坂家と、
賤ヶ岳七本槍の脇坂安治は、
関係あるの?」
脇坂家が龍野に来た時の城主、
脇坂安政(やすまさ)は、
脇坂安治の次男・安元の、
養子らしい。
🤡「本当の父親は?」
江戸時代初期の老中、
堀田正盛。
🤡「なるほどね〜」
この記事はだいたいWikipediaを、
参考にしました😅
というわけで、
龍野城は池田輝政、
本多政朝などの領地になった後、
脇坂家が入って200年、
幕末まで続きました!
龍野城の歴代城主まとめ
- 赤松氏が鶏籠山の上に山城の龍野城を建てた。
- 蜂須賀正勝、福島正則など豊臣秀吉の家臣の居城を経て、豊臣家の直轄地に。
- 池田輝政、本多忠朝の領地を経て、脇坂安治の子孫・脇坂家の領地に。以後、幕末まで脇坂家が続く。
Wikipediaからの引用で、
すいません🙇♂️
🤡「でも龍野城の公式サイト、
詳しい歴史については、
書いてなかったもんね」
本を読んだりして、
詳しい事が分かれば、
追記や修正します!
龍野城については、
他にも記事を書いてます!
🤡「龍野城へ行く前の、
下調べに読んでみてください!」
姫路城、赤穂城、明石城など、
兵庫県の城や観光地についても、
記事を書いてます!
🤡「読んでみてください!」
それでは今日はこの辺で失礼します!
🤡「さようなら〜!」
最後まで読んでくれて、
ありがとうございます!
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