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伊達家が愛媛県の宇和島(藩)に領地を持ってるのはなぜ?

2024年8月7日

こんにちは〜!

カワタツです!

🤡「どーも!

デルピエロです!」

かなり昔ですが、

愛媛県宇和島市の、

宇和島城に行った事があります。

🤡「宇和島城って、

伊達政宗の血を引く伊達家

なんだよね?」

そうなんだよ。

🤡「東北地方が本拠地の伊達家が、

なぜ宇和島に領地を持ってるの?」

じゃあ今日は、

その経緯を説明しよう。

佐藤憲一さんの、

「伊達政宗の素顔」という本の内容を、

噛み砕いて説明する感じになります!

宇和島にある

伊達政宗ゆかりのアイテム

も紹介します!

伊達家が愛媛県の宇和島に領地をもらったのはなぜ?

🤡「伊達政宗の伊達家が、

宇和島に領地を持ってるのは、

なぜなの?」

関ヶ原の戦いの時まで、

話は遡るんだけど、

伊達政宗は関ヶ原の戦いの時、

東北地方で最上義光と共に、

会津の上杉景勝を抑える役割を、

担ったんだ。

🤡「大事だよね〜。

上杉を会津に釘付けにしとかないと、

家康は挟み撃ちにされちゃうもんな」

そして関ヶ原の戦いの1ヶ月前、

徳川家康から、

「百万石のお墨付き」

という書状をもらった。

🤡「ん?

関ヶ原の戦いで勝ったら、

100万石の領地をあげるよ!

と家康から約束された様なもの?」

そんな感じ!

🤡「じゃあ宇和島の領地は、

その時もらったもの?」

いや、この時じゃないんだ😅

関ヶ原の戦いの時、

「百万石のお墨付き」を、

家康からもらったにも関わらず、

伊達家は関ヶ原の戦いの後、

領地を全く加増されなかったんだよ😅

🤡「え?

家康!

ヒドいな!😡」

その事は政宗も根に持ってて、

事ある毎に家康にネチネチ言ってきた。

🤡「そりゃそうだわな」

ただし、

家康の機嫌を損なわない様に、

家康に言ってきたのが、

政宗の上手い所だとも、

『伊達政宗の素顔』に書いてある。

🤡「それで、

宇和島が伊達家の領地になったのは、

いつの話なの?」

大坂冬の陣がひと段落した、

慶長19年(1614年)。

🤡「関ヶ原の戦いは1600年だから、

だいぶ後だね〜!」

そうなんだよ。

家康も政宗に領地をあげなかったのを、

負い目に感じていた様で、

政宗の長男・秀宗に、

宇和島10万石が与えられたんだ。

🤡「これが宇和島藩伊達家の、

成立の過程ってわけか」

そうだね。

まとめると、

関ヶ原の戦いの時、

伊達政宗の伊達家は大事な役割を担い、

家康にも、

「勝ったら領地たくさんあげるよ!」

と言われたにも関わらず、

領地は増えなかった。

その後、

政宗が上手く(ネチネチ)交渉し、

大坂冬の陣の後、

秀宗に宇和島10万石が与えられた。

というのが、

宇和島藩成立の経緯です!

宇和島に伊達政宗ゆかりの物はある?

🤡「ところで、

宇和島へ旅行したら、

伊達政宗ゆかりのアイテムとかは、

あるの?」

ゆかりのアイテムて😅

まあ、あるよ!

この宇和島市立伊達博物館に、

伊達政宗が着用した、

鎧が展示されてました!

🤡「上の写真は?」

クリアファイルが売ってたんだ😃

カッコいいでしょ?😄

🤡「今も売ってるかな?」

分からない😅

宇和島に行ったの、

10年くらい前だから😅

🤡「だいぶ前だな〜!」

とにかく、

宇和島市立伊達博物館に、

伊達政宗が着用した、

鎧があります!

まとめ

  • 宇和島に伊達政宗の伊達家がある経緯は、関ヶ原の戦いの時、家康が「勝ったら領地あげる!」と政宗に言った。
  • しかし何もくれず、それを政宗がネチネチと言ってきて、負い目に感じてた家康は大坂冬の陣のあと、政宗の長男・秀宗に宇和島10万石を与えた。
  • 宇和島市立伊達博物館に伊達政宗が着用した鎧が展示されてる。

🤡「西日本在住で、

伊達政宗が好きな人からしたら、

仙台に行きたいけど、

遠くて行けないよねえ」

そうなんだよ。

僕もそうだったから、

まだ近い宇和島に行ってみた。

先ほどの宇和島市立伊達博物館や、

宇和島城、天赦園、

大村益次郎が住んでいた家など、

宇和島には観光名所が多く、

楽しいですよ!

🤡「ぜひ宇和島を、

観光してみてください!」

仙台・松島の伊達政宗ゆかりの地については、

こちら!

🤡「東北地方にも行ってるんだよねえ」

それでは今日はこの辺で失礼します!

🤡「さようなら〜!」

最後まで読んでくれて、

ありがとうございます!

↓宇和島市内の観光に、

便利そうな立地のホテル↓

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