【姫路城は誰が建てた?】最初に建てたのは?今の形にしたのは?
こんにちは〜!
カワタツです!
🤡「どーも!
デルピエロです!」
姫路城
って良いよね!
🤡「いつ見ても立派だよね〜!
この立派な城、
誰が建てたの?」
ん?
それは、
この場所に城を、
最初に建てた人のこと?
それとも、
姫路城を、
だいたい今の形にした人?
🤡「ん〜。
両方かな!」
マジか〜!😅
じゃあ両方について説明します!
2018年に姫路城で買った、
「姫路城の基礎知識」
を引用して説明します!
姫路城に行く前の下調べや、
「姫路城について、
もっと知りたい!」
という人、
読んでみてください!
姫路城を最初に建てたのは誰?
🤡「じゃあ、
まず最初に」
姫路城を、
最初に建てたのは誰?
「姫路城の基礎知識」の年表によると、
1333年(元弘3年)
赤松則村(円心)姫山に縄張り。
1346年(貞和2年)
赤松定範、姫山に城を築く。
「姫路城の基礎知識」P1の年表
とある。
赤松定範は則村の次男らしい。
🤡「赤松則村が縄張りして、
次男の定範が姫路城の元の城を、
完成させたのか!」
そう!
親子二代で建てたんだね!
姫路城を今の形にしたのは誰?
🤡「じゃあ」
姫路城を、
今の形にしたのは、
誰なの?
関ヶ原の戦いの後、
慶長5年(1600年)に、
徳川家康の女婿、
池田輝政が播磨一国52万石の城主として、
姫路に入りました。
姫山では、
秀吉が築いた天守などを取り壊す一方、
石垣などはいかして、
新たに天守などを築き、
慶長14年に、
大天守と三つの小天守を渡櫓などで結ぶ、
連立式天守をいだく
姫路城を完成させました。
「姫路城の基礎知識」P1
🤡「おお!」
この時に、
今もある連立式天守が、
できたんだな!
その通り!
そして、
🤡「連立式天守を建てたのは、
池田輝政か!」
そうなんだよ!
池田輝政は「西国将軍」と呼ばれてて、
播磨・備前・淡路の3ヶ国、
92万石の経済力で、
大きな姫路城を建てたと言われています!
🤡「あんな大きな城を立てるのには、
たくさんのお金がいるよね〜」
そこら辺の内容については、
上の本に書いてありました!
🤡「興味があれば、
読んでみてください!」
というわけで、
姫路城の連立式天守を建てたり、
だいたい今の形にしたのは、
池田輝政!
まとめ
- 姫路城を最初に建てたのは、赤松則村・貞範父子。
- 連立式天守を建てたり、姫路城を今の形にしたのは、池田輝政。
まあ、この間に、
羽柴秀吉が3重の天守閣を築いてたり、
輝政以降の城主が、
色々と作ったり修復したり、
してるんだけどね。
🤡「この2者だけが、
姫路城を作ったわけではないよね」
姫路城については、
他にもいろいろ記事を書いてます!
🤡「姫路城に行く時に、
役立つと思います!」
兵庫県の観光地や、
他の城については、
こちらを!
🤡「姫路城のついでに、
どこかに行きましょう!
兵庫県には良い城が多いです!」
姫路城など国宝5天守については、
上の記事でまとめてます!
それでは今日はこの辺で失礼します!
🤡「さようなら〜!」
最後まで読んでくれて、
ありがとうございます!
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