伊達家が愛媛県の宇和島(藩)に領地を持ってるのはなぜ?
こんにちは〜!
カワタツです!
🤡「どーも!
デルピエロです!」
かなり昔ですが、
愛媛県宇和島市の、
宇和島城に行った事があります。
🤡「宇和島城って、
伊達政宗の血を引く伊達家
なんだよね?」
そうなんだよ。
🤡「東北地方が本拠地の伊達家が、
なぜ宇和島に領地を持ってるの?」
じゃあ今日は、
その経緯を説明しよう。
佐藤憲一さんの、
「伊達政宗の素顔」という本の内容を、
噛み砕いて説明する感じになります!
宇和島にある
伊達政宗ゆかりのアイテム
も紹介します!
伊達家が愛媛県の宇和島に領地をもらったのはなぜ?
🤡「伊達政宗の伊達家が、
宇和島に領地を持ってるのは、
なぜなの?」
関ヶ原の戦いの時まで、
話は遡るんだけど、
伊達政宗は関ヶ原の戦いの時、
東北地方で最上義光と共に、
会津の上杉景勝を抑える役割を、
担ったんだ。
🤡「大事だよね〜。
上杉を会津に釘付けにしとかないと、
家康は挟み撃ちにされちゃうもんな」
そして関ヶ原の戦いの1ヶ月前、
徳川家康から、
「百万石のお墨付き」
という書状をもらった。
🤡「ん?
関ヶ原の戦いで勝ったら、
100万石の領地をあげるよ!
と家康から約束された様なもの?」
そんな感じ!
🤡「じゃあ宇和島の領地は、
その時もらったもの?」
いや、この時じゃないんだ😅
関ヶ原の戦いの時、
「百万石のお墨付き」を、
家康からもらったにも関わらず、
伊達家は関ヶ原の戦いの後、
領地を全く加増されなかったんだよ😅
🤡「え?
家康!
ヒドいな!😡」
その事は政宗も根に持ってて、
事ある毎に家康にネチネチ言ってきた。
🤡「そりゃそうだわな」
ただし、
家康の機嫌を損なわない様に、
家康に言ってきたのが、
政宗の上手い所だとも、
『伊達政宗の素顔』に書いてある。
🤡「それで、
宇和島が伊達家の領地になったのは、
いつの話なの?」
大坂冬の陣がひと段落した、
慶長19年(1614年)。
🤡「関ヶ原の戦いは1600年だから、
だいぶ後だね〜!」
そうなんだよ。
家康も政宗に領地をあげなかったのを、
負い目に感じていた様で、
政宗の長男・秀宗に、
宇和島10万石が与えられたんだ。
🤡「これが宇和島藩伊達家の、
成立の過程ってわけか」
そうだね。
まとめると、
関ヶ原の戦いの時、
伊達政宗の伊達家は大事な役割を担い、
家康にも、
「勝ったら領地たくさんあげるよ!」
と言われたにも関わらず、
領地は増えなかった。
その後、
政宗が上手く(ネチネチ)交渉し、
大坂冬の陣の後、
秀宗に宇和島10万石が与えられた。
というのが、
宇和島藩成立の経緯です!
宇和島に伊達政宗ゆかりの物はある?
🤡「ところで、
宇和島へ旅行したら、
伊達政宗ゆかりのアイテムとかは、
あるの?」
ゆかりのアイテムて😅
まあ、あるよ!
この宇和島市立伊達博物館に、
伊達政宗が着用した、
鎧が展示されてました!
🤡「上の写真は?」
クリアファイルが売ってたんだ😃
カッコいいでしょ?😄
🤡「今も売ってるかな?」
分からない😅
宇和島に行ったの、
10年くらい前だから😅
🤡「だいぶ前だな〜!」
とにかく、
宇和島市立伊達博物館に、
伊達政宗が着用した、
鎧があります!
まとめ
- 宇和島に伊達政宗の伊達家がある経緯は、関ヶ原の戦いの時、家康が「勝ったら領地あげる!」と政宗に言った。
- しかし何もくれず、それを政宗がネチネチと言ってきて、負い目に感じてた家康は大坂冬の陣のあと、政宗の長男・秀宗に宇和島10万石を与えた。
- 宇和島市立伊達博物館に伊達政宗が着用した鎧が展示されてる。
🤡「西日本在住で、
伊達政宗が好きな人からしたら、
仙台に行きたいけど、
遠くて行けないよねえ」
そうなんだよ。
僕もそうだったから、
まだ近い宇和島に行ってみた。
先ほどの宇和島市立伊達博物館や、
宇和島城、天赦園、
大村益次郎が住んでいた家など、
宇和島には観光名所が多く、
楽しいですよ!
🤡「ぜひ宇和島を、
観光してみてください!」
仙台・松島の伊達政宗ゆかりの地については、
こちら!
🤡「東北地方にも行ってるんだよねえ」
それでは今日はこの辺で失礼します!
🤡「さようなら〜!」
最後まで読んでくれて、
ありがとうございます!
↓宇和島市内の観光に、
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